読書メモ-できる研究者の論文生産術

こんにちは、smabizです。

仕事で文章を書く機会は多いし、ブログを最近はじめたこともあり、どうしたらたくさん書けるのか知りたくて手に取ってみました。

本書は研究者のための本です。

でも、研究者でなくても継続的に文章を書く必要がある人には有用ですし、もっと広く自分の関心ある領域のアウトプットを安定・向上させたい人におすすめです。

大学院生や教授は、職業的に質の高い学術論文をたくさん発表する(たくさん書く)必要があるそうです。

しかし、多くの人が時間もないしモチベーションを維持するのも難しいため、それを実行していくことに苦痛を感じているそうです。

本書では、研究者の先輩である著者がその痛みを和らげる処方箋を提供しています。

「たくさん」書くための方法論に加え、かなり実践的なアドバイス(寄稿の仕方、論文のひな形など)も提供しています。

本書のキーメッセージ

本書のキーメッセージはシンプルです。

書くためのスケジュールを立てて実行する。これだけです。

例えば、毎日9時から11時は予定をブロックして、執筆を行う時間にする。やる気がしないときがあっても規則的に決めた計画を実行していくことが本当に大切だということです。

他方、たいていの人が行う気の向いたときに一気に執筆する「一気書き」は無駄で非生産的な方法であるとして断罪しています。

執筆は、完了するまでに長時間かかるプロジェクトで、作成過程から掲載後というすべてのフェーズにおいて他人の批判にさらされます。

また、執筆中にはわかりやすい報酬がなく他人の批判など心理的負担があり続けるため、継続が難しい種類の作業だということです。

なので、継続するためには続けている自分に誇りの感覚を自ら作り出すことが必要で、そのために作業の進捗をこまめに把握することも重要になるということです。

「走ることについてに語るとき僕が語ること」で、ジョギングをやる気がしない時もやる、気分にかかわらず毎日継続することが向上につながる、作家としての人生にも同じことが言える、というようなことを村上春樹が言ってましたので、その道のプロは同じ認識にいたるものなんだと納得しました。

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キーメッセージの他領域への適用

研究者による論文の執筆作業の特徴として、以下があると思います。

  • 成果がみえるまでに一定の投資(時間・努力)を要する。
  • 継続的に投資する必要がある。
  • 成果に不確実性がある。
  • 他にもやることがあり忙しい中で投資する必要がある。
  • 他人からの批判にさらされる(場合がある)

上記の特徴は、執筆全般、作曲・作詞、絵を書くといった芸術活動だけでなく、スポーツ、学業、仕事などアウトプットや学習に関連することに共通する特徴だと思います。

僕の場合、今関心のあるプロジェクトはブログに加え起業と経営(スモビズ)、筋トレ・ジョギング、息子の中学受験、資産運用(投信積立、不動産投資)です。

これらは、いずれも上記の特徴を満たすと思います。

なので、具体的にスケジュールして実行する!という本書のシンプルメソドを自分の関心領域に適用していきたいと思います。

備忘のため、本書のなかで、大事な部分と感じた文章を抜粋して、勝手に題をつけました。

なぜ研究者は執筆を行うのか?(WHY)

本書を読む際には、書くという作業が、競争でもゲームでもないことも心得ておいてほしい。どれだけたくさんの量を書いてもよいし、少ししか書かなくてもよい。自分が書きたいと思うよりたくさん書かねばならないなどと思いこまないこと。文章を発表するという目的のためだけに、浮ついた無意味な内容を公表しないこと。著作数や論文数の多い心理学者が、すばらしい発想の心理学者だと勘違いしないこと。心理学者は、さまざまな理由で論文を公表するけれども、一番の理由は科学の世界でコミュニケーションをはかることにある。論文や書籍を出すというのは、科学というプロセスの当然かつ必須の目標だろう。科学者というのは、書かれた文字を通してコミュニケーションを行うのであって、公表された論文の集積こそが、心理学の知ー人という存在がどのようなもので、彼らの行為がなぜ行われているのかといったことをめぐる知ーの実体である。

学術誌は厳しいが、それでも論文を掲載しなければならないのか?(WHY)

 心理学の学術誌は、1980年代のハイスクールドラマに必ず出てきた底意地の悪い体育会系男子と、お高くとまった裕福なお嬢様に似た所があると思う。美しい論文と、強靭な論文以外、おことわりだからだ。学術論文の執筆というのは、嫌気のさすことばかりで、すんなりアクセプト(受理)されることはまずない。たいがいは、文句をつけられ、リジェクト(掲載拒否)される。ようやく掲載までこぎつけても、評価してもらえるとは限らない。研究は楽しくても、研究を論文にまとめるのは難儀なものだ。とはいえ、科学のコミュニケーションが学術誌を介してなされる以上、学術誌向けの論文を書かないわけにはいかない。

論文を書くために私生活を犠牲にすべきか?(WHY)

 執筆計画を立てることで、人生や暮らしにバランスがもたらされる。といっても、疑似科学というかニューエイジ風の自己啓発のような奇妙な達成感の話ではなく、仕事と遊びを分けるというような意味でのバランスの話だ。気の向いたときに一気に書こうという「一気書き」派は、まとまった時間を追い求め、夕方や週末に時間を「見つける」ことになる。困ったことだ。つまり、「一気書き」の場合、仕事以外の生活に振りむけられるはずの時間を執筆に使わざるをえないことになる。論文を書くことは、家族や友人と一緒に過ごしたり、犬の面倒をみたり、コーヒーを飲んだりすることより大事なのであろうか。遊んでもらえない犬というのは寂しいものだし、飲まなかったコーヒーは二度と飲めない。リアルな世界の時間も、執筆予定時間と同じく大切にしよう。夕方や週末は、家族や友人と外出したり、カヌーをつくったり、要りもしないアルヴァ・アールトの中古北欧家具にオークションで入札したり、法廷ドラマ「ロー&オーダー」の再放送を見たり、よろい戸のペンキを塗り直したり、猫にトイレのしつけをしたりしよう。自分の自由時間を執筆に費やすのでなければ、何をしてもかまわない。そういう作業は、平日の労働時間内にすませておくべきだろう。

時間の多さよりも規則性が大事(HOW)

大事なのは、執筆日数や時間数ではなく、規則性の方だ。週に1日でも、月曜から金曜までの平日5日間全部でもよい。執筆時間を規則的に確保して、手帳に書き込み、その時間帯にはきちんと書くこと。最初は、週4時間で十分。執筆量がぐっと増えたことを確認したら、そのときに執筆時間を増やせばよい。

思うに、成功したプロの書き手は、執筆するのが小説であれ、ノンフィクションであれ、詩であれ、脚本であれ、基本的に毎日決まった時間帯に書いていることからこそ多作なのである。気が向かない限り書けないという発想を、彼らは拒絶しているということだ。キイスが述べるように、「書き手が本気なら、感興が湧こうが、湧くまいが書く。彼らは、どこかの時点で、インスピレーションでなくルーチンこそが良き友であることを発見するのだ」。彼らも、スケジュールを立て、遵守していると言えるだろう。

1日単位の目標の具体例(HOW)

1日単位の目標の具体例を挙げてみる。

  • 少なくとも200ワード書く。
  • 昨日終らせた第1稿を印刷し、読んでみて修正する。
  • 新たな目標事項のリストをつくって、ホワイトボードに貼る。
  • 総合考察の最初の3段落を書く。
  • 抜けている引用文献を足して、引用と引用文献を対応させる。
  • ジンサー(Zinsser, 2001)の22章と24章を再読して、執筆「電池」を充電し直す。
  • 昨日始めた「目標設定」の部分を終わらせる。
  • 新しい原稿に向けてブレーンストーミングをして、アウトラインを作成する。
  • 査読から戻ってきたコメントを読む、要修正項目のリストを作成する。
  • 校正刷に赤を入れ、返送する。

第1稿は細かなことは考えず猛スピードで書こう(HOW)

高い理想は結構だが、理想には発揮されるべきタイミングというものがある。第1稿は、英語のネイティブではない人が、どこか別の国の言葉で、猛スピードで英語に訳したような文章でよい。書くという作業は、創造する作業と批判する作業のミックスだし、イド(原我)の作業とスーパーエゴ(超自我)の作業のミックスでもある。イドにまかせて、とりとめがなくてもよいから、まずは第1稿を書いてしまおう。書き上げた第1稿をスーパーエゴに評価させて、的確で適切な文章をめざすのは、その後でよい。できあがった第1稿で曖昧な表現や不要な単語を削る作業同様、第1稿を書く作業も楽しもう。

執筆を開始する前にアウトラインを作成すること(HOW)

 僕の「文章執筆べからず集」では、「アウトラインを作成せずに文章を執筆してはならない」という項目の順位はかなり高い。(中略)・・・・・。たくさん書く人は、アウトラインもたくさん書いている。ジンサー先生いわく、「明晰な思考から明晰な文章が生まれる」。自分の考えを科学の世界に伝えるのは、きちんと整理してからにしよう。

 アウトラインを作成すると、論文の中身について、いろいろなことを前もって判断できる。どのくらいの長さにするか。先行研究にどのくらいのウェイトを置くのか。こうしたことの大半は、書き手の事情や実際の研究の事情によって決まるとしても、まずは簡潔を心がけるのが吉だ。

日々の小さな勝利が、原動力となる(HOW)

スケジュールに沿って書くのは、案外楽しいもので、職人の誇りのような感覚を味わえる。文章をいくら書いても、目に見えるかたちでの達成感(報酬)はめったに得られるものではないし、そうしたことは予測不能でもある。リジェクトの山の中に、アクセプトを知らせるレターがたまに混ざっている程度だろうか。特に「一気書き」をしている場合には、目に見えない達成感など、なきに等しいだろう。罪悪感と不安にかられて文章を執筆しても、楽しいはずはない。気分だけで長期間文章を書いていると、執筆期間の後に燃え尽きてしまい、気分が朦朧としてきて、自分が執筆嫌いだった事実をつきつけられることになる。一方、スケジュールをきっちり守った場合には、行動主義流に言えば、強化スケジュールをしっかり管理したことになる。目標を達成して報酬を得るサイクルができるということだ。僕の目標は、月曜から金曜までのウィークデイは毎朝執筆することだ。筆が進む日も、落ち込んで焦燥感にかられる日もあるが、最悪だった日も、机に向かって書くには書いたことで幸せになれる。背筋をぴんと伸ばして、ファイルに目標達成の「1」を入力し、「よくやった」と自分を褒めてやる(そして、コーヒーを1杯ごちそうする)。僕は、長年スケジュールを守って書いてきた。僕の原動力になっているのは、先々の論文や書籍の刊行予定ではなく、「ちっとも書きたくなかったし、本当はベーグルを買いに行きたかったんだけど、今日もちゃんと書いた」という日々の小さな勝利の方だと思う。